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マインドフルネス

【対談:井上哲玄老師×玄龍ケヴィダ】最高峰の禅師との問答 悟りとは何か?

2014年6月。当時の私には思うとこあり、これまでの境遇というものを一度検分したく、日本一。いや世界の最高峰であろう禅師に面談を申し込んだ。

その老師の名は『井上哲玄老師』静岡浜松在住の方である。

『悟り』とはなにか?

最高峰の禅師による対談の一部をここでシェアさせて頂こうと思う。

井上哲玄老師とは

簡単に井上哲玄老師のプロフィールを紹介する。

500年間出と称され昭和の古仏と尊敬される井上義衍老師(いのうえぎえんろうし)の長男として昭和8年、浜松市東区の龍泉寺に生まれる。

15歳から福井県小浜の発心寺僧堂にて原田祖岳老師に参ず この時、師井上義衍老師の法を知らず 18歳の時、墓場にて夜坐をして徹宵・明け方に及ぶ。

梵鐘を聞いて悟り、原田老師に見性を許されるも本人は肯わず 安居10年送行。

のち、横浜市鶴見の総持寺専門僧堂にて5年安居、合計15年の修行に及ぶ。

この間、途中より本師・井上義衍老師を師として修行に励む のち、義衍老師在世中に龍泉寺住職となる。

義衍老師の遷化(せんげ=逝去)後、龍泉寺参禅道場師家に就任し、後進を指導する立場となるが、義衍老師のあとの重圧に頗る苦しむ。

師遷化のあと50歳の12月30日、作務のあと、居間で休息中に雨音を聞いて豁然大悟する(見性) その後は、聖胎長養し、坐禅会や摂心会にて後進の指導にあたる 同時に大本山・総持寺祖院後堂老師(60代の時に3年間)などの役職も務める

現在は龍泉寺住持職を退いているが、カフェ寺や坐禅会にていよいよ精力的に指導にあたる。

齢80を過ぎた近年参禅者が全国よりおおいに集まる 平成26年NHKこころの時代に出演、さらに反響を呼ぶ。

龍泉寺東堂老師 龍泉寺重興 暁山哲玄大和尚

※引用元:カフェ寺ライブ 井上老師のプロフィール

扨、最高峰の禅師と13時に待ち合わせだったが私はナビをセットするのを間違えてしまった・・

同じ龍泉寺でも浜松には5件くらいあることを知らなかったのだ・・

 

いやはや参った。

しかし偉大なる禅師は30分遅れた愚かなる修行者を温かく迎えてくれた。

そして問答が始まる。

 

悟りとは何か?

本堂の応接室に通され、対面して挨拶を交わし正座して席についた。

玄龍
本日はご多忙のなか御時間頂きましてありがとうございます。
井上老師
はい。
玄龍
本日は電話で色々御伝えした通り自分自身の禅の境涯の検分したいと考えて来ました。
井上老師
はい。
玄龍
『悟り』というものは何でしょうか?
井上老師
五感の機能そのままの・・
それが悟りです。

 

 

玄龍
私もここ15年くらい自分自身の問題として自分とは何なのか?を探求してきました。それで禅寺で摂心にも参禅したりしてきました。そしてある時期から己の問題をもしかして解決したのではないか。と思うようになりました。 
玄龍
それに気付いたのは今まで意味がわかならい経典がスッキリ理解して府に落ちるようになったんです。
井上老師
ほう。それで
玄龍
その"思い当たる節"というのは自分が極道の現役時代に福岡の刑務所で務めてた頃です。刑務所というのは喧嘩したりすると所謂、罰を課せられて"懲罰"という非常に苦しい罰を与えられます。
玄龍
外部の接触は禁止。読書も娯楽も全て駄目。作業も禁止。三畳程の部屋でただただ黙って安座して正面を見据えて座るだけの罰なんです。それを起床後8時から16時位まで座るんです。それを30日か40日間受けて座ってたんです。
井上老師
ほう。それは連続ですか?
玄龍
そうですね。
井上老師
それから?

 

玄龍
で、どうせ座るなら坐禅してやろうと思いしてたんです。そして10日過ぎた頃ですかね。
意識が確実になくなっていてそれでハッと我に還ったんですが、そのハッとしたことも何でそういう状態になったのさえ覚えてないんです。何かの音なのか、見えて戻ったのか・・
井上老師
その事を覚えていない?
玄龍
全く覚えていませんね。
井上老師
ほう。あの悟ったという人はいっぱいいるけど
皆、わかってるんだね。その悟った様子が。笑 見ているものがまだ残っているんでしょ?
見ているものがいるということは自分の考え方でしょう。どこまでいっても。
玄龍
なるほど。
井上老師
『悟る』ということはそんな考え方の問題じゃないですよ。光が見えたとかも全くそういうことじゃない。笑
もう落ちきって見ているものもなにもない状態ですよ。それが皆、わからないんでしょう。そこがわからないから皆、考え方に迷わされるんでしょ?落ちきって落ちきって落ちきったらもう迷うこともないですよ。
玄龍
一度悟ればもう二度と迷うことはない?
井上老師
絶対にないですね。
玄龍
自分の場合はどうなんでしょうか?
井上老師
方向性は完璧ですね。でもまだ迷うからここに訪ねるんでしょ?
玄龍
でもそういう迷いというのとも違う気がします。検分して貰いたかったというか・・
井上老師
あなたはそのときに見ているものもいなかった?
玄龍
はい。覚えてないんですから。笑
井上老師
お釈迦様も落ちきって落ちきって見ているものもいない中で、あの流れる星を見て意識が覚醒した。それで、「あー全ての森羅万象と私は一体である」と悟ったんでしょう。
それが脈々と継承されてきたんですよ。体験者が体験者に。

 

 

 

玄龍
はい。
井上老師
(扇子を叩いて)このポンという音が『悟り』です。この音は聞こうと思わずとも聞こえるでしょう?又70%聞こえるとかそういうことはないでしょう。
皆、平等に聞こえてるんです。事実があるだけです。五感の機能がありのままに働いてるんです。良いも悪いもないんです。
玄龍
良くわかります。
井上老師
だけど皆のそれぞれで聞き方が違うんでしょう。「どういう意味か?」とかすぐ働くでしょう?それは絶対差別なんです。

 

玄龍
良くわかります。はい。それと老師にお尋ねしたいんですが例えば"某老師"とか色々いますけど、どうも私から見れば悟った人の境涯ではないですね。
どう思いますか?
井上老師
(頷きながら微笑む)
玄龍
やっぱり色々な方々が、精神世界含め仏教の道にいますが悟った方は少ないんでしょうか?
井上老師
それは非常に問題で少ないところではないですよ。ほぼ皆無に近い。中国もあれだけの禅の歴史があったのに根こそぎいなくなった状態でしょう。インドもそうですね。

 

玄龍
そうですね。中国はそうでしょうね。
井上老師
私が若い頃原田雪渓老師の元で修行してた頃に、同門であの極東軍事裁判の書記官をしてたものと一緒だった。仏教美術を学ぶのをきっかけに禅へと傾斜してきた。
その方がはじめてアメリカで最初の禅道場を開設したんですよ。
玄龍
へえ。そうなんですね。初耳でした。
井上老師
それは兎も角あなたも稀有な方ですからヤクザから仏門の道を真摯に求めてるんですから頑張って下さい。
方向性は問題ないですから。必ずそこまできてたら落ちきって悟りますよ。
玄龍
ありがとうございます。もう一つ御伺いしたいんですが、悟ったたしてそのあとは自分だけで満足してていいんでしょうかね?
それを社会とどういう風にかかわり合うかが大切なんではないでしょうか?
井上老師
それはそうですけど、でも社会奉仕というかどこどこに橋を建てるとか、そういうことはその道の方々がやればいいことで。
我々はここに訊ねて来る方に本当に道を求めてるんですからその道を導ければいい。でも少数ですよ・・それも本当の悟りは。

 

玄龍
あ、そうですか。老師の元で修行して悟られた方はかなりいますか?
井上老師
いやそんなにいないね。でも最近面白い例があってね。九州の方で禅の修行者の三羽烏がいたんだね。在家の方で建設業に務めててね。
井上老師
摂心の時にあなたみたいな体格な者でね。
もう初日から足がちぎれそうで痛くて痛くて我慢の勝負で・・でおそらく意識を失ったのかな?
たぶん落ちきったのだと思うんだけど。休憩の時に私にこう言うんだな。

 

※摂心とは・・5泊6日とかで3時位に起床して夜の21時位まで連続して参禅する。足の痛みや妄想で極めて苦痛な行のこと。

井上老師
「老師!老師の説教がわからないと皆、休憩室で話してますが私には良く理解できるんです。しかもこの摂心で理解できるようになりました。なぜでしょうか?私は頭がおかしくなったのでしょうか?」と。笑
本人は学問もなくて、ただただ痛いのを堪えてたら落ちきってしまった。たった数日ですよ。そういう縁もあるんです。だからね時間じゃないんです。
玄龍
面白いですね。確かに時間であれば禅寺にいる多くの老師は皆、『悟り』を得ているはずですよね。笑
まあ坐禅すらしていないのが現状ですが・・

 

この問答の間には国内の禅寺の現状や外国の参禅者達への状況。

ここで記すると俺はいいが老師に迷惑が及ぶことが危惧されることもあるので省略するが、井上老師は非常に国内の宗派を問わず禅の現状を憂いていた。

又私に福井県の曹洞宗専門修行寺である御誕生寺を紹介してくれることも考えてくれていた。御誕生寺は元曹洞宗管長を務めた板橋興宗老師が住職を務める御寺である。

又オウム真理教の某氏が獄中から井上老師の父で師匠でもある井上義衍老師の語録集を求め、読了後に深い懺悔の便りを寄越したことなども話してくれた。

 

本物の禅を求めてる者達へ井上老師には必ず会うことを奨める。

禅師の中には本当に偽物が多いと思う。そこをよくよく吟味して欲しい。

 

最後に

では少々長くなるが500年に一度の禅師と畏敬された井上義衍老師の教えを著書から転載する。

全てのものは、それぞれにおいて、そのもので解決済みのものである。その外にはない。

この故に万物は存在しており、さらに疑うところはない。また、これほど確かな事実はない。

今を今の外に求めようはない。求めざれども今なり。

然るに、人はこれに対して色々に疑いを起こし、この疑問を解明せんとし、あらゆる手段を尽くしてこの問題に取り組んでいる

然るに、過去無量劫来から今日に至るまで、何人(なんぴと)も満足なる解決をした人がない。

いかなる問題をどのように論じてみても、いかように立派な説を立て、結論を出してみても、人の立てた結論によっては、決定的な無条件での満足は得られない。

それは、その思うことが妨げているからである。

人類の全てが、この無条件で満足の出来る道を求めて止まない。

然るに、この目的が達し得られない。人はこの矛盾に永久に悩まされて行く。これが人類最大の悩みである。

人類発生以来の悩みである。 文化の進展につれて、この問題は益々大きな問題となるものであるが、これは人間が人間として、人間的な態度でしては、決して解決の出来る問題ではない。

これは人間の全てが既に経験をして今日に及んでいるはずである。

それだからといって、この問題を放置しておくことは益々出来ない。

そこで、人はこの矛盾に苦しむのである。これが文化人の最大の苦しみである。

哲学者も芸術家も宗教家も、これが最終的課題となっている一大問題である。

仏教では、この疑問の起こる元を根本無明(むみょう)の煩悩という。この無明の煩悩が滅しない限り、人間の苦悩を完全に救うことは出来ない。

たとえ百人千人が集まり、仏教学的に研究に研究を重ねて各々同一結論に達し、これらの人によって決定付けられ、学問として理論的に決定されて、各自これでよいと決めてみても、彼ら自身が、真実にこれで良いのかと自問自答する時、真面目な正直な考えを持つ学者であればあるほど、益々疑問が起き、自分自ら迷うのが落ちではあるまいか。

かく考えてみればみるほど、人間は迷いに迷いを重ねて浮かぶ瀬なき哀れなる者となる。

これが人を苦しめ悩ますところの根本無明の煩悩である。 かつて、釈尊が出世された当時も同じことであったことは、釈尊が苦悩されたことで分かる。

この時、釈尊はこの人間苦の元たる無明の一大問題を問題として、これの解決のため王城を出られた。これが釈尊の出家である。

当時の出家修道者の有名人であるアララカラン、ウッダカ等に師事して、彼らの言う最後の空無遍所(くうむへんじょ)、非想非々想定(ひそうひひそうじょう)の境涯に達せられた。

しかし、これは人間的な生活の全てを尽くしての訓練修行であった。

このことは、釈尊の疑問というよりは、人類全ての最大疑問たる、「真実とはいかなるものか」という、人間手放しでの満足に対しては、一文の値(あたい)にも当たらないので、釈尊も失望された。それは、無明が残されているからである。

その結果、釈尊はさらに自分自身、自らの真相を省みられた。ということは、今日までの問題は、およそ人間特有の無明のもとである認識が、認識としての問題の中を一歩も出られないこと――いわゆる、認識自体が認識自体の微妙かつ自在なる活動のために惑わされて、これから一歩も出ることなく、ただいたずらに認識上にあって、認識を問題にしていたということに気付かれた。

これは、人類の一大事件である。もしこの事(じ)なければ、釈尊の出世なし、これなければ世は暗黒ならん。すなわち、地球上にあって地球の全体を見んとすると同様、全く不可能であることは何人(なんぴと)も知るところである。

従来の人は、識が識の混迷による誤りを誤りと知らず、今日の人もまたこの誤りを知らず、これに惑わされている。この発見こそ、釈尊の偉大なる前人未到の田地であり、人類苦の元を発見するの鍵であった。

釈尊はこれに目覚められた。この一大問題が過去の人々から取り漏らされていた重大な問題であったことに気付かれた。

ここにおいて釈尊は、従来一般に人間修行最大の道と思われた苦行の道を捨て、健康の回復を図り、ついに尼蓮禅河畔(にれんぜんがはん)において、只管(しかん)に参禅されたのである。
(只管とは、内に思うことなく、外諸縁を捨てて一切為すことなし。これ意識の中に自己を忘ずるの道である)

その坐禅は、弟子のラゴラに教えられたところによっても明らかであるが、各自が実際に徹してみれば自ずから明らかである。

それは、意識の中に自己を忘ずることであって、意識をなくすることではない。意識の中に自己を忘ぜよと教えられている。これ、大死一番大活現成(だいしいちばんだいかつげんじょう)の道である。

すなわち、意識自体が純意識自体であるときに、自体が自体を知ることは出来ない。主体を主体と知ることも出来ぬところに、意識の主体すらも消滅するのである。眼(まなこ)眼を見る能わざるが如し。

この確実かつ純粋なる道に徹するとき、無明は断絶する。それは、識自体が識以前の純然たる法性体(ほっしょうたい)の事実に直接に証せられて、認識の及び難きものなることをまさしく得たとき、得る要も捨つる要もなく、自信の要も全くなきことを得るからである。

この時初めて、「今」の事実たる一大法界(ほっかい)が無条件で証せられ、この生活自体が法身(ほっしん)であることを自得するのである。この時、疑いようも信じようもない、その必要も全くなく、その欲求すらも起こらないものである。

求心(ぐしん)の全く止む時である。釈尊の明星一見大悟の事実がこれである。無明の絶滅である。

これなくして仏教の真意、すなわち人及び物の真意を知ることは出来ないものである。

道元禅師が如浄禅師の会下(えか)におられた時、道元禅師の隣単で眠っている僧を浄祖が打って、「参禅はすべからく身心脱落なるべし」と、ここにおいてこの事(じ)を実証された。

これによりて、道元禅師は意識以前の真相たる実相無相に徹せられたのである。

この大事において、従来問題にされていた、「本来本法性(ほんらいほんぽっしょう)、天然自性身(てんねんじしょうしん)」たる法性の実相自体を自覚され、ここにおいて、「一生参学の大事全く畢(おわ)りぬ。一毫も仏法なし」と禅師は言われた。

すなわち、無明の尽きたる脱落の実証である。

今はこの人なきが如し。この一大事なければ、いかに仏の教えを説いてみても、自らが不安であるから信ずる力を借りなければならぬ。今は仏祖の教えに対する正直な人がいないのではないか。人類の安泰のためにも、この人を望むものである。このことは、誰でもやれば必ず出来るものである。

今の多くの教えなるものは、みな意識上における意識の問題を、意識内において解決せんとしているが、それは不可能なことである。このことは、意識自体が自らの細工に過ぎないことを識自らが知っているからである。

この一大事を得て、人類の苦悩の起こる元を明らかにせんことを要す。これが今日の最大急務である。

しかもその道は開かれている。しかしながら、今の人はその道あることを知りながら、今人には古人のごとき道が実現するものではない、時代が違うと思っているのではないか。もし然りとすれば、大変な問題である。

なんとなれば、道元禅師の言われた「人々の分上に豊かにそなわれりといえども、いまだ修せざるには現われず、証せざるには得ることなし」の言のごとく、これは虚言ではない。「利人鈍者を選ぶことなかれ」ともある。すなわち、今の全ての人々も、実は実相無相そのものの生活者自体であるからである。

白隠禅師の言葉に、「衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて‥‥」と、水の中にあって水を求むるこの哀れさをいかんせん。この事(じ)は、言うことは誰もが言うが、その事実を証明できる者が今日はいないので、これを求むる者に対して、手の下しようがなくて困っているのが実状ではないか‥‥。

多くは、人間が人間として正しき道を踏み、自他共に人格者として許し得ても、それはそれだけの人である。立派な人ではあるが、ただし無明の根底を断じ得た人とは、全くその質を異にするものである。ただし、非人格者たれと勧めるのではない。無論道を学び、無明を断ぜんとする人において、非人格者たる筈はないと言えることは当然である。

見よ、六祖下の永嘉禅師のごとき、『証道歌』に、「君見ずや絶学無為の閑道人、妄想を除かず真をも求めず、無明の実性則仏性、幻化(げんげ)の空身則法身、法身覚了すれば無一物‥‥」と、この事(じ)ありて初めて人法(にんぽう)なしと決する。

ここにおいて、刹那に滅却す阿鼻の業と、天真仏なることを証するのである。五蘊の浮雲は空去来、生活の一切が、どこから来てどこへ去る。三毒も水泡と同じく,虚ながらの出没、これが実相じゃと言うておられるが、ただ古人のみのことではない。

何人(なんぴと)もこの人である。誠に安楽な境涯である。法界大の自己である。他の教えとその質の異なるゆえんであり、真に救われるゆえんである。

もしこの大事なければ、人類はこのいかんともすることの出来ぬ苦悩を如何にせん。

これなければ、人類の苦悩は救われぬ。この無明を断ぜざれば、世界平和を唱うるも、言葉のみにしてその実なし。

ゆえに曰く、自身に矛盾あり、動著ありて、自らの内部に混乱あり、闘争ありて、何の平和がある。

自己一人の真の平和ありてこそ、人類の平和あり。

一人の和平は人類の和平なり。一人の和平の実証なくして、人類の和平はありえないものである。 今日といえども、現にこの大事あり。請う、自ら看取看取。

引用:「夢想 第一集~第四集合本」より

なんくるないさ~

-マインドフルネス